7月16日

  今日はマヘ島から脱出し、プララン島・ラディーグ島の1日観光であり、ある意味、実質セイシェル最終日である(夜はバンヤン・ツリーの泊まるが、明日も朝早いのだ)。言われたとおりに、6時20分にはホテルのロビー?に行ってみる。集合は6時15分と書いてあったのだが、昨日も来るのは遅かったので時間にはルーズな国民性なのかもしれない。また、ホテルの従業員?から旅行会社へ電話をしてもらう。昨日に続いてと言うことで、多少厳しく言っていたようだ。6時半過ぎにバスが来た。今日は若いイタリア人夫婦?とガイド?が乗っていた。イタリア人は相手の国籍を気にしないのか?挨拶はBuongiorno(ブォンジョールノ)だった。彼らは英語が苦手というのか、ガイドらしき人がイタリア語も話せるようで、なにやら会話をず〜っとしていた。今日はプランテーション・クラブに寄ることもなかった。朝日がまぶしい。空港が近づいてきたと思ったら、イタリア人2人とガイドらしき人が空港(国内線乗り場)で降りた。我々はコスト削減の観点と船旅も楽しいだろうという考えで、あえて船にしたのだが。イタリア人を降ろして、そのまま行くかと思いきや、途中で訳のわからない団体を乗せていった。特にホテルらしいところでもないのだが、民宿みたいなところなのだろうか?謎だ。ここで車は一気に定員に近くなった。そこから、車は首都であるヴィクトリアのほうへ向かった。変なモニュメントを通り過ぎ、ヴィクトリアにある波止場で降ろされた。7時20分ごろであった。昨日来た旅行会社からはさほど遠くなさそうなところだった。降りると、堅い紙でできたチケットらしきものを渡された。船会社名らしきINTER ISLAND BOATS LTD、Main Deck Transit Cardと書いてある。行きと帰りで2種類あった(前の写真は帰りのもの色が違った)。船は外から見るとこんな感じである。一応、高速艇なのだろうか?中に入ると、一応、テレビなんかも用意されている。ちょっと、船酔いのための紙袋があったが、飛行機にもあるものなにで大して気にしなかった(のちのちお世話になることになったのだが)。船内になった案内板からして、乗客は200名程度という感じであろうか?行った時刻が遅かったのか、すでに窓側の席はほぼ埋まっていた。外には怪しげな乗客らしい中国系?の人が立っていた。仕方なく、真ん中の前の方に座った。7時40分ごろに出港。外には現地人らしき、乗客か乗務員かよくわからないのが数人いた。旅行会社の人が「波が比較的荒い」と言っていたが、港からでてしばらくすると、船もスピードが出てきて、それなりに揺れるようになってきた。外を見ると、波を切るためか窓も結構ぬれてきている。んん〜、確かに気分悪くなりそう〜、と思っていたのだが、私よりも先に奥さんがダウン。当初、私は外海に釣りに出て思いっきり船酔いしたことがあったので、自分のほうを心配していたのだが。幸い?にも朝食も食べていないので、大したことはない。船も結構激しく揺れており、そうした"ゴミ"を捨てに行くときも途中にある棒に捕まらないと厳しいくらいだった。30分もすると、それなりに気分を悪くしている人が多かった。船酔いには外で風を浴びると良いということで、外に出ている人も多かった。奥さんの隣の人もダウンしてから、外に出て行った。私もこんな調子では気分が本当に悪くなるな〜っと思っていた。しかし、外にいるお姉ちゃん(写真左端)の風に揺れるパレオから見える悩ましいお尻を眺めて正気?を留めていた?マジでもうダメだと思うころには、島が見えてきたようだった。助かった。ちょうど1時間ほどでプララン島へ到着した。これはすでに停まっていた別の高速船と思われる。降りる前には、前に座っていた知らないおばさんが帰りの船の1時間前に飲むと良いと酔い止めの薬を奥さんにくれた。ありがたかった。船から下りると、旅行会社の添乗員に彼女が体調が悪いということで、お手洗いに行く間、ちょっと待ってもらった。その間に、添乗員の女性に、帰りを飛行機に変更できないか、本社?のほうに確認してもらった。多分、大丈夫だろうということだった。但し、手持ちがUS$50しか持ち合わせていないため、カードが使えるかという点についても聞いておいた。海水の色がやたらとクリーム色っぽいのは不思議だった。バスに乗り、ココ・デ・メール(Coco de Mer 双子の椰子)の自生地である「巨人の谷(ヴァレ・ドウ・メ)」へ向かう。奥さんの調子がパッとしないので、添乗員のお姉さん?が気分が悪いのであれば、山道を1時間近く歩くので車を停めた休憩所で待っていたほうが良いのでは?とアドバイスしてくれましたが、せっかくのセイシェルの"売り"であり自慢の世界遺産を見ないわけにはいないということで、歩くことになった。現地では、朝飛行機でプララン島へ来たイタリア人も再び一緒になった。ガイドは2名いて、ここで英語のグループとフランス語のグループに分かれたので、私は英語のグループに参加した。入り口にいきなり、ココ・デ・メールの本物が置いてあった。これにはビックリ。こんな椰子の実があるのか?ホントに男と女みたいだ。さて、いろいろと説明を聞きながら歩いていくのだが、やはり、単語がよくわからないので、今一つ。下の方にトゲがあるヤシとかあった。ほかにも、根っこがごちゃごちゃしたのとか・・・。この植物園には、ルートに沿って説明を書いたものが置いてあるので、ツアーに参加しなくても良いのかも知れない。ココ・デ・メールがなるまでに30年前後かかるということだったが、歩いた限りでは、確かに実はなっているものの、それらしいものは私には見えなかった。ぐるりと歩いて、再び入り口戻ってきた。と、そこに日本人らしき人がいた。私と同じでカメラを2台もぶら下げていたので、そうだろうと確信した。ちょうど二人で写真を撮っていなかったこともあり、日本語で話しかけると、案の定日本人だった。ココ・ド・メールと一緒に写真を撮ってもらい分かれた。なんでも奥さんがお手洗いに行っているということだった。我々と同じ新婚旅行だろう。どうでもいいことだが、実は、モーリシャス、セイシェルと来て、日本人には一度も会っていなかった(少なくとも認識できなかった)のだが、ここで初めて会った。ということで、この辺り、シーズンでないということもあるかもしれないが、まだまだ日本人観光客は少なそうだ。さて、休憩所(というかお土産屋?)に戻る。ここには飲み物などのほかに、お土産なども売っている。ホテルなどに比べると値段はやや安いようだった。ちなみにここの公園?の入り口には、写真付きIDがあればセイシェル住民は無料と書いてあった。ケニアなどでも、国立公園は住民は格安だったりするが、日本ではあまり聞いたことがない。先進国ではないシステムなのか?さて、そこから再び港に戻る。不思議なくらいの海の色だ。これが波止場から見たプララン島である。プララン島(Praslin)はこれで終わりのようだ。今度は、黄色い船に乗ってラディーグ島(La Digue)へ向かう。マヘ島からの船と違い高速船という感じでもない。ゆっくりと風景を楽しみながら乗れそうだ(写真はラディーグ島到着時)。奥さんが再び調子悪くならないか心配ではあったが(自分も含めて)そうこうしていると島が見えてきた。なんとかラディーグ島へ到着した。ちなみに、これがその船の操縦席?である。で、船を降りると、ウェルカム・ドリンク?の椰子の実ジュースをいただいた。昔、鈴鹿サーキットでアルバイトをしていたときに、椰子の実を売っていたことがあったが、あれは冷やして売っていたのに対して、こちらのは生ぬるいままである。この生ぬるさでは、うまいというものでもない。で、これを飲み終わると、今度はそれを割ってもらい、中の白い果肉をみんな食べている。我々も頼んで割ってもらったが、奥さんが頼んだところ、結構、たくさんとってもらい、捨てるのも申し訳なく、結構食べることになった。奥さんも全部はさすがに要らないということになり、一人で沢山食べていることになってしまった(最後は捨ててしまった)。そこからは荷台に座席を作ったようなトラックに乗せられた。ここでは牛車も有名だが、さすがにツアー客はそれだと動きにくいのだろう。まずは、Copra KilnというところにあるL'Union Estateというココナッツを利用した様々なものが作られている農園・工場?に向かった(入り口には墓もある)。空は本当に天気もよく気持ちが良かった。で、中にはゾウガメも飼われている。車を降りてゾウガメを見てから(ここではコンクリートの塀の中で直接触ることが難しい)、ココナッツを焼いている(蒸し焼き?)ところ(カメラを構えているのがイタリア人で結構濃い顔だ)や、牛を使ってココナッツからココ・オイル?を作る過程などを見学した。蒸し焼きしたココナッツの果肉?は結構、甘くてみなさん結構つまみ食いしていた。作られたオイルなどは、シャンプーなどのあとに油分を補給するのに良いようなことを言っていたと思うが、今となっては忘れてしまった。どちらにせよ、こうしたココナッツを利用した商品(オイル、石けんなど)でもお土産としての販売であり、海外などへ輸出をして外貨を稼ぐという性格のものではないらしい。映画「さようならエマニエル(Goodbye Emmanuelle)」はセイシェルが舞台だったらしいのだが、その際に撮影にも使われたという建物もあった(映画を見て確認したいのだがまだ未確認である)。なんでも、それがセイシェル大統領ルネ(Rene)の別荘だとか(自信なし)。ちなみに、この椅子にエマニエル夫人が座っていたわけでもなく、建物も立派で大きなものです(デジカメ写真取り忘れ)。その建物の周りには地元のおばさんがバニラビーンズを干していた。モーリシャスでも有名なようだが、セイシェルでもそれなりに栽培されているようだ。余談だが、なんでも英国首相であるトニー・ブレア(99年当時46?)が第4子であるレオ君をラディーグ島での休暇中に仕込んだ?という噂がある。ちなみに奥さんはそのとき44か?頑張るな〜。さて、そこから歩いて海岸へ行った。これが有名なAnse Source d'Argentと呼ばれるビーチなのか恥ずかしながらよくわからない(地図で確認もせず、適当についていっただけなので)。でこぼこしたここでしか見られない特徴的な岩は多分、それに近いものだろうが。向こう側には船でわたってきたプララン島が見える。ネットで探したところhttp://web.tiscali.it/sansed_sea/seychelles/la_digue.htmに詳しい?地図と写真が載っていたので、これを参考にさせてもらいました。ここにはゾウガメの入った塀もエマニュエル夫人で使われたという建物もありましたよ。で、これによると結構近そう(本当はもう少しはずれなのかもしれない)。そこでしばらくの休憩後、今度は昼食の場所へ移動するという。向かったのは島の南西にある位置するGrand Anseのレストラン?である。すでに2時くらいになっていた。食事はここでもビュッフェ・スタイルだった。飲み物は有料だったので水だけとした。我々の参加したツアー以外でもそれなりに人がいた。自分たちでレンタサイクルで島内を回っている人も多そうだ。食事の方は、これが全く大したことない。というか、昨日が予想外に良かったため、今日も昨日のレベルを多少期待していたのだが、これが見事にはずれた。料理は魚や肉、ヌードルなどがあった。食事を終えてトイレに行った。トイレは建物が別でいわゆる日本の厠といった趣か?このレストランも裏から見ると非常に汚い感じだ。で、食事をするとほとんど時間はないのだが、歩いて海岸へちょっと行ってみる。ラディーグ島でも、海岸によって遊泳禁止のところがあるようで、ここの海岸は禁止のようだった。人もほとんどいなかったが、カップルが一組だけいた。そこの海岸の前には大きな木が立っており、その陰が砂浜に落ちているのが印象的だった。もっとも、木の葉が砂浜に落ちているので、砂浜が白一色でないところが残念ではあったが。トラックに乗り、再び山?を越える。到着した港から北へ行ったところ(Anse Severeあたり?)にトラックは止まった。そこは波もほとんどないところだった。木にはトカゲがいたが、日本にいるものと大して変わらなかった。ここの海岸は非常に遠浅な印象である。もちろん、今回の旅行にはサンダルみたいなもの?を持ってきているのだが、この遠浅なところではそれが必須である。裸足でしばらく歩いていくと、すぐに海草の生えた岩場(大げさであるが)があり、沖まで歩いていけないのである。ちなみに、沖まで歩いていってもなかなか深くならないので、ここでのシュノーケリングは難しい。北の方を見るとこんな感じ。これを陸の方までみるとこんな感じ(2枚をつなげれば雰囲気がわかるかも)。ここでの休憩も3時から1時間程度とそんなに時間がなかった。この海岸への道中はイタリア人夫婦が運転席の隣に乗っていたが、帰りは我々が助手席に座らされた。それから港のほうへ戻る。しばらく時間がありそうなので、港の前にあった土産物屋などを見てみる。金額は忘れてしまったが、お土産用にシールのついたココ・ド・メールも販売していた。金額的には大したことでもなかったと思うが、大きいものであるので持ち帰るのが大変だろうし、持ち帰っても飾る場所に一般家庭では苦労するだろう。すでに時計は4時半になる。ラディーグ島の港はこんな感じであった。これが我々の乗った黄色い船である。特にチケットもなく、添乗員のお姉さん?が乗っているかどうか確認するくらいのことだったが、無料なのか??船は港から離れていく。途中で、先に出発していた我々の船よりもやや小さい帆船を追い越していった。プララン島へ近づいていく。港に着くと朝、来る船に乗っていた人たちが結構いた。やはり、プララン島やラディーグ島のホテルなどは限られているため、我々と同じで一日ツアーの形でプララン島へ来ている人も多いということだろう。が、我々は旅行会社へ帰りは飛行機に変更して貰えるよう依頼したのだが、あっさりと受け付けてくれた。もともとのプランでは、今は行きが船で帰りは飛行機というのは受け付けていなかったのだが。ただ、現金を多く持っていないのでカードでの支払いということを前提に話をしていたのだが。車のところで待っていると、朝一緒にいたイタリア人夫婦がいた。調子が悪くなったので飛行機に変えて貰ったと話をすると、「飛行機なら15分だから飛行機のがいいよ」みたいなことを言っていた。我々を乗せたバスは一路空港を目指す。途中のホテルで2人ほど降ろして、20分ほどで空港へ着いた(写真は空港の端っこ)。そこで、添乗員と別れるはずだったのが、問題が発生した。旅行会社のほうでは、カードでの支払いで問題ないということだったのだが、その空港にある旅行会社の事務所?ではカードでの支払いが出来ないというのだ。イタリア人夫婦は往復とも飛行機なので問題はなかった。当初、私の記憶では一人US$50と言っていた気がしたのだが、US$100も手持ちが無く、ギリギリUS$50だけだった。で、話をしているとどうもUS$50であれば良いということだったので、なんとか支払うことができた。それと交換に堅い搭乗券みたいなものももらった。この飛行機には座席番号などもない。ここで再び朝会った日本人夫婦を目撃した。彼らはまた別のところへ向かうようだった(話していないのでわからないが、国際線のほうにいた)。空港の中に入る前にはちゃんと手荷物検査もやっていた。その手前でイタリア人夫婦と4人で記念写真を撮ったりした。中ではやることもなく、水を買って飲んだ。意外にちゃんとした空港?で驚いた。イタリア人夫婦と英語(彼らの英語も私と同じで下手くそだった)で話をしていたのだが、彼らも同じ新婚旅行だった。若者の割にデカイローレックスをしているな〜、成金趣味かな?などと思っていたら、なんでもローマのローレックスで働いているとか。ローマには行ったことないので知らないけど、日本大使館が近いようなことを言っていた。最も、宿泊先がプランテーション・ホテルということだったので、欧州から来るティピカルなツアーというところか?ただ、彼らはカジノがあるといって喜んではいたが。さて、1機目は我々の飛行機ではなかった。カウンターのところで渡されたボード?の色の違いで判別しているようだ。次に着たものがそうだった。しかし、このプロペラ機というと、ケニアでマサイマラへの往復以来のことだ。気流によっては結構船以上に揺れる可能性もあるので、ちょっとだけ不安だった。イタリア人夫婦はさっさと飛行機の中へ。中へはいると、先に入ったイタリア人夫婦が前の方に席を取っておいて?くれた。ほぼ満席だった。離陸の準備に入る。外を見るとプロペラがちゃんと回っている。多分、機長(向かって左だから)がスラストレバーを調整しながらスピードを出す(プロペラ機でも携帯電話は禁止です)。と、んん〜、飛んだー(普通のことだが)。海岸が見えたと思ったら、向きを変えるのか?島を横切るように山を越えて再び海の上へ。飛行機から見る夕陽がまぶしい。などと思っていると、すぐに島が見えてきた。しかし上から海を見ると海草のせいか?なんかへんな感じだ。さあ、空港へ着陸です。どうでもいいことですが、離陸は副機長(向かって右側だから多分)スラストレバーを握っていた。無事に着陸した。国際線と国内線では着くところが、多少違っている。国際線の方には英国航空のジャンボジェットが止まっていたほか、どこかの軍用機らしきものも止まっていた。6時20分すぎだった。そこから再びバスに乗りホテルを目指す。どうでもいいが途中、レンタルビデオ屋があった。ルートからしてまずは我々の泊まっているバンヤン・ツリーに先に着いた。イタリア人夫婦とは住所などを車中で交換した。ホテルに戻って、まずは翌朝の出発について確認しておくことにした。ホテルの車だと高すぎるのでタクシーとした。タクシーは6時半に用意できるとのこと。また、その前にカートで迎えに来てくれるらしい。セイシェル最後の夜とな食事をどうするか考えたのだが、一度部屋に入ると出るのが面倒になる上、明日の準備もあるので、結局、イン・ヴィラ・ダイニングとなってしまった。頼んだ料理も前にうまかったタイ料理。ちなみに、本日のパスタや、ハンバーガーなどもUS$20前後だった。タイ・サラダなどもそれくらいであったし、他にもバゲット(仏:BAGUETTE)もUS$20前後のようだ。今年10月からビーチフロント・プール・ヴィラのラックがUS$1,700と考えると破格に安い?設定がうれしい。そうそう、本日もちゃんとターン・ダウンで違った模様をシーツで描いておりました。夜は出発の準備をして早めに寝ました。もう終わりかと思うと残念です。最後に、この2日間は外出をしていたのですが、その間にちょっとしたトラブルが。まず、部屋の鍵についているキーホルダーをヴィラの電気スイッチ(よくカードキーを刺して電気が入るホテルありますよね)になっていたので、部屋のエアコンなどが切れるのを防止するために、キーだけを刺していった。そしたら、2日ともメイク・アップをしにきたときに多分、持っていってしまったのだ。もちろん、本来の使われ方でないことをした私にも問題はあるのだが、こうしたシステムはエアコンやジャグジーなどと連動しており、お世辞にもホテルの省エネ(原価削減)にはつながるかも知れないが、高い料金を払ってまでそこまでしなければならないのかと思ったのも事実。ジャグジーも一度、温度がなぜか上がらない(結局、スイッチが切れていた?)というトラブルもあったし、ジャグジーの温度設定はヴィラの道路側にあるボックスに温度設定ができるようになっているのだが、その温度も勝手に下げてあったりという具合。ちなみに、ジャグジーは元のスイッチを入れてから20分くらいで設定温度になるらしい。

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Last updated Oct. 31, 2002
Eiji Nakaoka 2002

 

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モーリシャス・セイシェル旅行記