8月20日(日) 伯父と対面、ノヴァ・オデッサへ  

 朝食をしてから、飛行機でちょっとだけ横になった。はじめは、晴れており下界もよく見えていたのだが、サンパウロに近づくと徐々に雲が多くなっていった。サンパウロ国際空港はすっかり曇りだった。ほぼ予定通りに無事に着陸した。従姉妹にファックスをマナウスから送っておいたものの、伯父さんとの連絡がうまく行ったのかが心配だった。ビジネスなので降りるのはすぐだ。また、預けたラゲッジもないので、そのまますっと出る。出たところで感激のご対面を想像していたのだが、伯父さんらしき人物が見当たらない。予定通りのターミナルだと思ったが、ひょっとして間違えて教えてしまったんだろうか、という不安が頭に浮かぶ。ここで動いてしまうと会えなくなるかもしれないので、椅子に座ったり、トイレに行ってみたり、近くうろうろ歩いて回りを観察しながら待つ。と、なんとなく見た人物がいつのまにか、出口のところにいるのを発見した。いや〜感激だ、地球の裏側で親戚に会えるなんていうのは。そこには、従姉妹(女1人、男2人)と従姉妹の旦那が着てくれていた。従姉妹については、過去に日本に遊びにきたことがあるのだが、そのときは私も大学生くらいだったんだが、彼女もずいぶんと恰幅が良くなってしまった。一方で、男のほうは何故か痩せていた。伯父の済んでいるノバ・オデッサ(Nova Odessa)はサンパウロ州にあるが、州都のサンパウロからは車で2時間ほどの距離にある。日本で高速で2時間というと東京から浜松程度までいけてしまう距離で、結構遠い感じがするが、広大なブラジルではたいした距離でもないのだろうか?ということで、朝早くから出てきてくれたので、みんな腹も減っているのだろう。ハンバーガーなどをマクドナルドで注文していた。私は機内食も食べているので、飲み物だけお願いしてしまった。さて、車はどんなのかな?などと思っていると、従姉妹夫婦がやっているという学校や会社の送迎のためのメルセデスのミニバン(というかミニバス?)だった。その事業はそれなりに成功しているとかで、家族経営という感じでやっているそうだ。車に乗ると、伯父がサンパウロで行きたいところがあれば、連れて行ってくれるといっていたので、日本人街にはぜひ行ってみたいな、などと思っていた。車の中で、日本やリオで買ってきたお土産を渡したりした。とすると、伯父からいきなり爆弾発言。私の知っている伯母とは現在離婚調停中とかで、すでに内縁の妻がいて、その間に子供もいると聞いてさらにびっくり。想定していた、お土産の数と比べると足りなくなるはずだったのだが、リオとかで買い足したこともあって、伯父と相談しながら決めたところ、これまたうまく数は見事にぴったりとなった。途中に、本田技研の工場などがあった。伯父の話では、最近では、エンジンが小さくてもホンダ車は走るということで、人気があるらしい。トヨタも進出しているということだ。でも、そこら中に走っているのは、ブラジル製のフォルクスワーゲンだ。これが超大衆車となっていて、なんかゴルフワゴンに乗っている自分は、日本ではカローラよりは上という気分なのだが、どうもこちらではそんな雰囲気はなさそうだった。あと、人気があるのが、シボレーで日本ではオペルとして売られているものが、人気があるらしい。日本ではフォルクスワーゲンよりも人気がないのだが。ところで、シボレーってGMグループのブランドだったんだっけ?ちなみに、シボレーはどうもアルゼンチン製らしい。フォルクスワーゲンの中でも、特に大衆用として売られているのは、GOL(つまり、サッカーのゴール)と呼ばれる車だ。ほんとによく走っている。そうこうしている間に、伯父の家に到着。この辺りの家はみんなレンガ造のように見える。まあ、地震もないだろうから、それでも問題ないのだろう。
  伯父の家には、これまたいろんな人がいた。内縁の妻の連れ子と、伯父と子、従姉妹の旦那の連れ子が3人や、従兄弟の彼女など。昼過ぎだったのだが、みんなで庭にあるシュハスコ用のグリルがあったりして、みんなでワイワイガヤガヤしながら、食べる。私はまず、風呂にも入っていないので、シャワーを浴びさせてもらった。こちらのトイレもやはり、ウォシュレットというか手で持つシャワーが便器にはついていて、くず入れもやはり、あった。みんなあまり英語が得意でないらしく(私も人のことを言えたほどでもないが、なんとなく英語のできない日本人と似ている気がした)、もっぱらコミュニケーションはちょっとのポルトガル語と、ちょっとの英語といった感じ。伯父とは日本語で話ができるが、他に日本語のできる人はいない。ダラダラと食べていると、そのうちもう一人の従姉妹も旦那と一緒に子供をつれてやってきた。途中で、私が前に会った伯父の奥様の家に顔を出しに行った。結婚していない従兄弟はまだ伯母と住んでいるのだ。家でお土産などを渡したら、お土産にシャツをもらってしまった。それから従姉妹の家にもついでに行ったりした。また伯父の家に戻って再びワイワイ。で、今度はもう一人の従姉妹のうちに行った。彼女たちはノヴァ・オデッサでも珍しいコンドミニアムに住んでいた。見晴らしは良いがあえて、こんな田舎で高いところに住むというのは治安とかの問題もあるのかもしれない。彼女の旦那も英語を話すので、3人で適当に話をしたりしていた。子供の部屋にはソニーのプレイステーションがあった(確か)。それから、再び伯父の家に戻り、今度はみんなでショッピングセンターに出かけた。なんでも、私の両親へのお土産とかを買いたいということと、私へのお土産?というか記念の品を買いたいという。車で30分以上かけて大きなショッピングセンターへ行った。そこで、私のお土産ということで、ラコステのポロシャツを買ってもらった。たまたま、ラコステのポロシャツを私が着ていたということもあって、ブラジルでもそこそこのブランドのようだ。そこで、私の父への土産なども買った。従姉妹夫婦は私に本を買ってやりたいということを行って、そこの本屋へ連れて行ってくれたが、あまり良いブラジルの写真集みたいなのがなかったので、結局その店の隣に会ったCDショップへ行った。そこで、イバン・リンスジャヴァンが好きだという話をしたところ、ジャヴァンのライブアルバムが出たばかりのようだったので、それをお土産として買ってもらった。そのときに、セルジオ・メンデスのアルバムはあるかと聞いてもらったが、なぜか無かった。また、いろいろと土産としてもらってしまったので、さすがに、持ってきた土産以上の大きさとなり、このままではバックパックには入りきらないということで、急遽小さなラゲッジを購入することにした。それなりに安いものを探して決めた。現地では、Kai(自信なし)とかいうブランドがラゲッジでは人気があるようだったので、それにしたかったのだが、ちょっと高いのであきらめ、特価のものにした。まさか、こんなところで、こんなものを購入することになるとは思わなかった。それから、帰りにもう1件のショッピングセンターに行って、彼らから私の両親への土産などを買ったりして、再び伯父の家に戻った。また、伯父の家でシュハスコなどを食べて夕食となった。結構、昼から夜にかけて、ダラダラと食事をするということも珍しくないことらしい。私はさすがに、あまり寝ていなかったので、早々と床についた。

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Last updated Jan. 20, 2001
Eiji Nakaoka 1996.-01

 

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